遊びに行きたくなるお寺

−今の時代に合った心のより所へ−


最後にお寺に行ったのはいつだろう?お寺に用事といえば、年末年始のお参り、法要、お盆ぐらいだろうか。今や葬儀もセレモニーホールで全て済ませるのが主流になり、地域のお寺との関わりは希薄になっていくばかり。でも、それで本当にいいのだろうか?お寺のあり方を見つめ直して活動する満龍寺の高津研志さんに話を聞かせてもらった。

この日は境内で持ち寄り制BBQ 大人も子どもも、食べて、遊んで、語り合う



ほとんど閉ざされたお寺


満龍寺は1582(天正10)年、日滝地域一帯を支配していた豪族・須田満国によって建立されたと伝えられている。近くの蓮生寺はかつて須田氏の本拠居館があり、ここを中心に集落が発展していった。現住職(研志さんのお父さん)で26代目となる歴史あるお寺だ。研志さんの子どもの頃はお寺はほとんど閉められていて、開くのは年末年始、春のご祈祷、秋のお施餓鬼の3回のみ。「暗くてジメジメしてるし、カメムシは多いし、正直あまり行きたい場所ではありませんでした。でも、どことなくこの場所の可能性は感じていたんです。」



自己と向き合ったドイツ時代


とはいえお寺が身近にありすぎたことと、お寺でやることが作法に則りすぎているように感じたことから、自分が継ぎたいとは思えなかったという。しかし18歳の時にあるお寺の住職交代の儀式を目にし、神聖な雰囲気に惹かれ、横浜のお寺で修行をすることに。ただそこは檀家さんを多数抱えて忙しく、実務的なことは一通り教わったが、生死や哲学など仏教の真髄を学ぶことができなかったという。


もっと精神を深めたいという思いで、母親の故郷であるドイツに6年間滞在し、働きながら語学を習得した。もう一つのアイデンティティであるドイツで自分と向き合い、外から改めて日本や仏教について考えてみると、とめどなく疑問が湧いてきた。


−なぜ日本の仏教は死んだ後のことばかりに力を入れているのか。生きている時の方がずっと苦しいのに。葬儀や法要はどこか形式だけになっているのではないか。本来は亡くなった人のためなのに、義務的に感じてしまうのは、仏教の精神が語られていないからなのか。どうして生きづらさを抱えている人がこんなに多いのか。日本の教育は1つの型にはめるような勉強ばかりで、精神や哲学について自由に考える機会が無いからなのか−


ドイツで過ごした時間は自己の考えを深め、人生の大きな転機になった。

「なるべく身近に」との思いから、手が届きそうな高さに安置されている御本尊



気持ちよい風が吹き抜ける手作りのテラスには映画館の椅子?



本来のお寺の機能を今のかたちで


2016年に帰国してから弟の会さんとお寺の片付けを始め、翌年から寺子屋やマーケット、ライブ、お話会などのイベントを開催するようになった。寺子屋といっても教科の勉強を教えるわけではなく、火おこしなど遊びを通して学ぶスタイルだ。また、あたたかみのある法要を目指して、お寺で仕出しを頼んでお参りの後ゆっくり食事をしたり、子どもが遊べるようなスペースを整えていった。今後のさらなる活用のため、今年既存のキッチンを拡張して飲食店営業許可を取得した他、クリエイターと一緒にPublic Lab Radioというアート集団を立ち上げ、瞑想のための音作りや映像制作などを始めている。

カウンターの奥には今年拡張した広いキッチン



研志さんたちの取組みは一見奇抜に見えるかもしれない。でも根底にあるのは「今生きている人を救いたい」という思いだ。地域のより所としての役割を「今」に合ったかたちで取り戻す挑戦は、仲間を増やしながら植物のように広がっている。



オリジナルグッズやお寺の片付けで発掘されたものを販売しているキオスク

何があるかは見てのお楽しみ!




満龍寺

住所  須坂市本郷町667

※掲載内容は2020年9月15日現在の情報です。内容は予告なく変更になる場合がございます。